コミュニケーション力とは?皆勘違い?コミュニケーションの本来の意味や大切な役割。

コミュニケーション力とは?皆勘違い?コミュニケーションの本来の意味や大切な役割。

会話を盛り上げられる人になりたい!

必要とされている人材で「コミュニケーション力が高い人」とよく聞きます。

自分もそうなれるように頑張りたい、でも空気を読むのは苦手だし、口ベタで冗談の一つも言えない。

こんな自分は、会話を盛り上げて輪の中心に入れるような「コミュニケーション上手」になれないのだろうか。

まてよ、、そもそも「コミュニケーション力」って何なのだろう?

目次

コミュニケーション力 とは

この頃「コミュニケーション力 (コミュ力)」という言葉をよく聞きます。

コミュニケーションとは人格と人格のふれあいですので、

コミュニケーションがうまくとれないと、人間関係もうまくいかないという場合は多いでしょう。

そのため、多くの人がコミュニケーション力について注目しています。

一般的に「コミュニケーション上手」という言葉からイメージされるのは、「会話を盛り上げて輪の中心に入るような人」かもしれません。

そしてそれができない口ベタな自分は、コミュニケーションが下手だと思っている人も少なくないです。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

コミュニケーション力の定義

そもそも、コミュニケーションとは「人と人とのふれあい」と考えれば、

目的に応じて相手とうまくやりとりできることがコミュニケーション力だということができます。

それは、必ずしも「輪の中心に入ってみんなを盛り上げる」という形だけではないでしょう。

また、コミュニケーションが人と人とのやりとりだということは、

当然そこにはそれぞれの個性が反映されるものです。

全員が「輪の中心になってみんなを盛り上げる」タイプの人だったら、むしろ気持ちが悪いです。

それでは、あまりにもやかましくて社会が成り立たなくなってしまいます。

「盛り上げるのが得意な人」や、「反応がよい人」、「聴き上手な人」、「穏やかにその場にいられる人」、「人との会話にあまり関心がない人」など、さまざまな人達がいてこの社会が成り立っているのです。

人それぞれのコミュニケーション力

「その人らしいコミュニケーションの仕方」と「コミュニケーション力」とでは本来別の次元の話です。

自分の個性を反映させた「コミュニケーション力」をつけていけばよいと考えれば、「輪の中心に入ってみんなを盛り上げる」ことができない自分に劣等感を抱く必要はありません。

自分は単にそういうタイプではないだけなのです。

本当の「コミュニケーション力」とは何かを考えていくために、

さまざまな状況におけるコミュニケーションの役割を考えていきます。

相手への思いを伝えるためのコミュニケーション

例えば、恋愛における告白。

自分の中に思いがあってそれを相手に伝えたい!と思うときには、

それがコミュニケーションの役割になりますね。

あるいは、感謝やお詫びの気持ちを伝えたり、「大丈夫ですか?」と気づかっている様子を伝えたりするのも、「相手へ思いを伝える」ということになります。

これも相手への思いさえ伝わるのであれば、「その人らしいコミュニケーションの仕方」でかまわないのです。

恋愛の告白にしても、クールでお洒落な表現でスマートに決めるのが合っている人もいれば、素朴な告白が合っている人もいるでしょう。

その他の思いの伝え方も、派手にする人もいれば、控えめにする人もいると思います。

ちょっとした気づかいを伝えるのであれば、言葉ではなく、ホッとするタイミングでお茶を入れてあげる、などという形でもよいでしょう。

何らかの行動や表情、動作など、言葉を使わないコミュニケーションも「非言語的コミュニケーション」と言って、立派なコミュニケーションです。

言葉によるコミュニケーションであれ、言葉を使わないコミュケーションであれ、「思い」が伝われば、その人らしくてよいのです。

自分を知ってもらうためのコミュニケーション

自分と関わるにあたり、知っておいてほしいこと(苦手なこと、気にしなくてよいこと など)を伝えるためのコミュニケーションもあります。

あるいは、より親しくなりたい相手であれば、好みや考え方、今まで経験してきたことなど、できるだけ個人的なことを知っておいてもらいたいですね。

これも人それぞれで、魅力的な体験談をプレゼンテーションして自分を知ってもらうのが得意な人もいれば、ベラペラと話すことはなくても、誠実にポイントだけ伝える人もいます。

あるいは、特に自己アピールをしなくても、一緒に行動することで「ああ、優しい人だな」と感じ取ってもらえる人もいるでしょう。

常にフェアな姿勢を示すことによって「公平で誠実な人だな」と思われている人もいると思います。

そんな人たちは、言葉を使わなくても、相手に自分を知ってもらっているといえます。知ってもらいたい自分を知ってもらえるのであれば、それは「その人らしいコミュニケ ーションの仕方」と捉えられます。

相手を知るためのコミュニケーション

相手について知るのもコミュニケーションの役割です。

相手がどんな人かわからないとき、あるいは相手がなぜそういうことをするのか理解できないときには、「質問」という形でそれを知ろうとすることが多いと思います。

また、何らかの話題を提供してみて、相手が興味を示すかどうかで相手を知ることもできます。

相手について知ることは「聴く力」を要します。

「どういう質問をするのがよいか」というスキルの話ではなく、相手が安心して心を開ける環境をつくることがその本質となります。

警戒心が強いときには、自分をさらけ出そうとは思わないものだからです。

相手に対し期待を伝えるコミュニケーション

相手にやってほしいことがあるとき、あるいはやってほしくないことがあるとき、

それを伝えるのもコミュニケーションの役割です。

やってほしいことをしてもらえない、あるいはやってほしくないことをされてしまうと、相手からストレスを感じます。

そんな対人ストレスを減らすためには、自分が相手に何を期待しているのかをきちんと伝えることが必要です。

一般に、「文句」「不満」として語られることの裏には、「期待通りにやってもらえない」 という気持ちがあるものです。

でも、それをただ「文句」「不満」のレベルで語っている限りは相手もよい気持ちがせず、ただ反発を感じたり傷ついたりするだけでしょう。

「あなたがやっていることはよくない」という否定的な意味だけになってしまうからです。

そこから一歩進んで「〇〇〇してもらえると助かるんだけど、お願いできる?」という言い方ができれば、コミュニケーションはぐっと生産的になります。

相手に対する期待を調整するコミュニケーション

相手にやってほしいこと、やってほしくないことを伝えたときに、

それが相手の現実と合わない場合には、調整が必要です。

どんな人も完璧ではないので、得意と苦手がありま す。

「〇〇〇してもらえると助かるんだけど、お願いできる?」と期待を伝えたけれど、「それはちょっとできません」と言われた場合は、自分が最初に期待したことが現実的ではなかったということです。このようなときに、「どういう形でならできる?」「どこが難し い?」というやりとりをすることも、コミュニケーションの役割です。

これは、「相手について知る」ことの応用版だともいえます。

どういう形で行うことが相手にとって最もやりやすいかを知る、という意味だからです。

なので、即座に結論を出さないほうがより深い理解につながります。

相手の テンポにもよりますが、結論を急いで矢継ぎ早に質問していくと、

追い詰められたと感じてしまう人も多く、態度が反抗的・回避的になってしまいます。

本来できるはずのことでも「できない」と言われてしまうのは、そんな雰囲気によるところも大きいでしょう。

相手が自分に何を期待しているのかを知る

相手は自分にどうしてほしいのだろう、ということも、コミュニケーションを通して知っていくことが大切です。

相手の期待を勘違いして不毛な努力をしたり、期待に応えているつもりで相手に不愉快な思いをさせたりしたら困りますね。

これも「相手について知る」の一つ で、「聴く力」によるところが大きいものです。

実は多くの人が、相手は実際にはそんなことを期待しているわけでもないのに、「期待 されている」「相手はこうすれば喜ぶに違いない」と思い込んで不毛な努力をしたり、スト レスを抱え込んだりしています。

コミュニケーションとは、人と人とのやりとり、ということを考えれば、

勝手に思い込む=やりとりが十分にできていない ということです。

情報を得る・伝えるコミュニケーション

相手についてのみならず、様々な情報を収集するために人から話を聞くこともありますし、自分が持っている情報を提供することもあります。

この情報の「得る・伝える」は 相乗効果があることも多く、自分が持っている情報を伝えることによって、相手からさら なる情報を得ることができる場合も少なくありません。

これは単にギブアンドテイクに留まらず、自分が伝えたことが刺激になって、相手が何かを思い出す、ということもあります。

ここで言っている「情報」は相手についての個人情報ではありません。

ですから、ただ聞けば教えてくれるのではないかと思うかもしれませんが、そんなこともありません。

誰でも、貴重な情報は信頼できる人にだけ伝えたいもの。

そうでなければ、その情報がどんな形で利用されるかがわからないからです。

また、情報源が自分だということを広めてほしくないという場合もあります。

ですから、「この人に話しても大丈夫だ」と思われるようになること、

つまり、相手との間に信頼関係を築くことはとても大切です。

重要なことをいろいろと知っている人というのは、単にあちこちに顔を出しているというよりも、いろいろな人と信頼関係を持って いる人、と言えるでしょう。

俗に「○○とバイブがある」と言われるのは、単に「○○を知っている」という意味ではなく、

「重要な情報を与え合う程度の信頼関係が○○との間にある」という意味です。

単にあちこちに顔を出すだけでは、持っている情報の数は増えても、その深みには欠けるでしょう。それだけ情報としての価値が落ちるとも言えます。

日頃からの信頼関係が築けていない相手であっても、

何のためにその情報を必要として いるかが伝わると、

安心して情報を提供しやすくなる、ということはあります。

その目的が人道的なものや、人間として納得できるものであれば、多くの人が協力してくれるでし ょう。

そういう意味では「コミュニケーションの目的を明確にする」ということも一つの重要なポイントになります。

時間を共有するコミュニケーション

愛のないおしゃべりなどがこれに当たるのでしょうが、

相手と時間を過ごす一つの形として、ただコミュニケーションする、ということも案外多いものです。

「だべる」などと言われるのは、このタイプのコミュニケーションでしょう。

内容は大して重要でなく、 また何らかの結論を導く必要もなく、

ただ一緒に過ごすことが重要なのです。

「雑談」や「社交」も、時間を共有する形と言えるでしょう。

もちろんそこから重要な情報が得られる場合もありますが、

本来の目的は「共に時間を過ごすこと」なのだと思います。

特に相性のよい人と、こういうタイプの過ごし方をすると、とても質のよい時間を持つことができるでしょう。相性がよいということは、ありのままの自分でいられること。あ りのままの自分で人と一緒に時間を過ごせるというのは、とても恵まれたことです。

関係性を深めるコミュニケーション

ここまでの内容の組み合わせとも言えるのですが、

相手との関係性を深めるための手段としてコミュニケーションが用いられることも多いです。

お互いについて知り合い、お互いの気持ちを伝え合い、自分たちの関係について期待がずれているところがあったら調整する、といったことを積み重ねていけば、関係性は深まります。

つまり、それだけ親しくなるということです。

もちろんこれは「関係性を深めるための手段」などと最初から意識されているわけでもなく、そのようなやりとりを積み重ねた結果、気づいたら関係性が深まっていた、ということのほうが多いと思います。

関係性が深まるということは、信頼関係ができるということです。

ちょっと首をかしげるような相手の言動があったとしても、そこで「やっぱりあの人は信じられない」とすぐに決めつけたりすることなく、「あの人のことだから何か理由があるのだろう」と考えることができるようになれば、信頼関係はきちんと育っていると言えます。

また、信頼関係があれば、あとから「さっきちょっと違和感があったんだけど、あなたのことだからきっと何か理由があると思う。教えてくれる?」と、それについて話し合うこともできるでしょう。

繰り返しになりますが、コミュニケーションとは、人格と人格のふれあいの手段です。

「相手にどういう姿勢で向き合うか」を形にしたものがコミュニケーションなのです。

ですから、目的に応じたコミュニケーションを適切かつ誠実に積み重ねていけば、

自ずと信頼関係が深まる、ということになります。

本当のコミュニケーション上手を目指す

「コミュニケーション」と一口に言っても、その役割はさまざまです。

いったい自分は何のためにこのコミュニケーションをしているのだろうか という意識を持つだけでも、ずいぶん余裕が出てきます。

そして、自分の目的に合ったコミュニケーションができることこそ「コミュニケーション上手」なのだと考えてみれば、視野が広がるはずです。 会話を盛り上げて輪の中心に入るのは単なる「盛り上げ上手」。

前述した分類で言えば、「時間を共有する」ためのコミュニケーションを刺激的にできる人、ということになるでしょう。

しかし、すべての人がいつも刺激的に時間を共有したいわけではなく、ただ静かに一緒にいたい、少人数で落ち着いたおしゃべりをしていたい、冷静に情報を得たい、ということもあります。

そもそも、空気を読んだり、おもしろい冗談を言ったり、というのは、

実はかなりの程度が「持って生まれたもの」による場合も多いのです。

冗談については、文化的に育てら れる要素も大きいのですが、

残念ながら日本では「ユーモアのセンス」が重要な資質として位置づけられていないですから(落語や漫才など、笑いを中心とした文化は除く)、学校で窮地に立たされたときにユーモアのセンスで許されるなどということはほとんどないでしょう。

やはり持って生まれた性格によるところが大きくなってしまいます。

「空気を機敏に読んで、おもしろい冗談を言い、場を盛り上げる」ということだけを 「コミュニケーション上手」のイメージにしてしまうと、いつまで経っても「自分にはコミュニケーション力がない」というところに立ち止まってしまい、本当の意味でのコミュ ニケーション力は磨かれないと言ってよいでしょう。

まとめ

  • コミュニケーションとは人格と人格のふれあい
  • 目的に応じて相手とうまくやりとりする力が「コ ミュニケーションカ」
  • 相手へ思いが伝わるなら、自分らしいコミュニケ ーションでよい

盛り上げ上手=コミュニケーション上手ではないことを認識しましょう。

自分の個性が反映された「コミュニケーション力」を磨きましょう!

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